流産した時期を教えてください。
妊娠3ヶ月目頃に流産しました。
流産の体験談とその後を教えてください。
1人目を妊娠した辺りで妹・夫のお母さん・知り合いがそれぞれ1回流産を経験していたことがわかりました。
妊娠してから買った妊婦さん向けの雑誌に流産は「誰にでも起こりうること、赤ちゃんが成長のスピードについていけなくて成長を止めてしまう。お母さんのせいではない」という記事をみつけ、決して他人事ではないこと、もし流産してしまっても自分を追い詰めないこと、と自分なりに理解したつもりでいました。
その後妊娠生活は順調でつわりも全くなく、無事に元気な男の子が産まれました。
それから2年くらいして次の子のことを考え、夫と話し合いお互い納得した上で妊娠するように頑張りました。
何週間かして何か違和感を感じ、妊娠検査薬で検査したら妊娠していることがわかりました。
1人目を診てもらった産婦人科ではない別の産婦人科で検査してもらったら、妊娠していることがわかり嬉しかったです。
先生は台湾出身の方でちょっと日本語が片言なときがありますが、優しい感じの先生でこの産婦人科で診てもらおうと思いました。
何回か妊婦検診に行き、診てもらうたびに先生は「まだ鼓動が感じられないね、もう少ししたら確認できるかもしれないね」と言ってくれました。私はその言葉の意味をあまり深く考えず受け入れていました。
妊娠して3ヶ月が経った頃、何か違和感を感じました。生理のときの出血のような感じです。慌ててトイレにいくと下着に薄っすらと血がついていました。
これってなんの出血なんだろう?とネットで調べると出血の原因はいろいろで特定はできない、ただの出血のときもあれば流産の出血もあるかもしれないので速やかに病院に行くように、と書いてありました。
このときは夜で産婦人科の外来は時間外でしたので、明日も出血するようなら産婦人科へ行こうと思いました。
その後明け方だったと思います。寝ているときに腹痛で目が覚めてトイレに行ったら大きな塊のようなものが落ちました。何が落ちたのか確認するとトイレは血で真っ赤になっていて何がなんだかわかりませんでした。
産婦人科が開くのを待って電話したら受付の方はごく事務的にすぐに病院に来るように言いました。
病院についてから呼ばれるまで怖くてこのまま永遠に呼ばれないのではないかと思いました。
やっと呼ばれて来院理由を話し、診察台に座って診てもらったらカーテンの向こう側で先生が「これはだめだね」と言いました。カーテンから銀色のお皿を持った先生の手が出てきて、小さな血の塊が載っていました。
明け方のトイレで落ちたのは胎児が入っている嚢で、今はその残骸とのことでした。処置を終えて診察室に戻ると優しい先生がデスクに座ってカルテを書いていました。
書き終わってから「この子がもし産まれていても強い子にはなれないから、これでよかったんだよ」と言ってくれました。
それまでなんとなく実感がなかったのですが、この言葉でこの子はもういないんだ、ということがわかり、泣きそうになりましたが必死にこらえました。
先生の言葉と妊婦向け雑誌の「流産はお母さんのせいではない」という言葉を糧に必死に自分のせいではない、でも本当はやはり自分のせいだ、と答えの出ない堂々巡りの疑問が沸いては消えて、消えては沸いてを繰り返しました。
妊娠したときに母子手帳をもらいましたが、これが唯一この子が存在した証だから一生保管しておこうと決めました。
その後1年くらいしてまた妊娠し、つわりや胃もたれに悩まされながらも元気な女の子が産まれました。
物理的には2人の子供の母親ですが、私の中では3人の子供の母親です。