妊娠がわかって、安静にとは思っていたものの、一人上に子どもがいて、ちょうど活発な時期…。
上の子は、早産の、小さい子。私的にも安静にしたい、ゆっくり休みたいとは思うものの、かまってほしい、遊びに行こうと言う子どもに寂しい思いをさせてはいけないと妊娠前の通りに体を動かし、たくさん遊んで、でも大丈夫だ、きっと大丈夫。普段とかわらない。子どもが昼寝したら、ゆっくり横になろうと…。
最初の子どもが生まれた時、早産でした。小さい小さい赤ちゃん…病院では、次の妊娠の時、気をつけて下さいね、早産の可能性があるからと…。
小さい命がお腹にいることも、大切な子どもも目の前にいることも私にはどちらも大切でした。ただ、今いる子どもには、絶対絶対寂しい思いはさせない、今まで通りにと…年子で生まれくる家族だってある、大丈夫だと。
ある日、検診日…育ってないですね…様子みましょうと…不安が襲ってきました。
お願いお願い…家族になってと…その日の夕方、少しの出血が…主人に早く帰ってきてと初めて言いました。不安で不安で。病院に電話したら、横になって安静にしてて下さい、明日病院に来て下さいと。
主人に子どもの世話、食事など全て任せ横になっていました。夜中…我慢してたおしっこのためトイレにいきました。そこで全て終わりました…コブシくらいの塊が…その瞬間、いなくなった…ごめんなさいと泣きました。次の日病院での検診は…きれいになにもなくなった子宮の画像がありました。
先生は、今回は、仕方なかった、遺伝子の問題であなたが悪いわけではないと…。
勝手に目から流れる涙、唇をかんでいる私…遺伝子だと言われても…正直きつかったです。病院から帰る時、病院前で主人、子ども、そして話を聞き付けた両親が待っていました。黙って私を迎えてくれました。どんなけ涙を我慢していたことか…皆の前で泣いてしまえば、子どもが心配すると…今は泣かないと…。親も気を使ってるのわかるから。
それからは、子どもがほしいとか、怖いという思いで…二年間無理でした。
ただ、その後、兄弟を作ってあげたいと…将来助け合う兄弟は必要だと…。
しばらくして生まれてきた子どもは、すごくすごく小さい赤ちゃん…。
逆児だとか、高血圧だとか緊急の帝王切開…。しばらく病院をでることができず、病院では体質だとの結論が…私の体質が関係あるのだと…。いなくなってしまった赤ちゃん…私の体質の問題…だからと…忘れることはできません。今でも、いなくなった日…忘れられません。